昼間コーヒーを飲み過ぎたせいで、眠れない。
こういうとき、ぼーっと天井をながめていると、
今の自分の夢と現実との距離や、
自分と世界の距離について自然と考えています。
昔見たきれいな景色がふっと戻って来たりします。
たいていは、大学時代のインドの旅行のときの景色が多いです。
3回目ぐらいのインド旅行。
ゴアの海辺のゲストハウスで目覚めたある朝、
私はふと、カニャクマリという岬に行くことにきめました。
インドの地図のいちばん南の、とがっている、あの点。
北から南に向かうあらゆる列車の終着点です。
「太陽が、東からのぼって西に沈むところが両方見られる」という、
なんともロマンティックな枕詞がついている岬でもありました。
ひとりで一ヶ月ぐらいインドをまわっていたその頃。
旅慣れた気でいた私は、
なんだか旅に対するストイックなモードに突入していました。
ゴアのビーチは世界中から集まったヒッピーがパーティーを行う場所。
なんだかその浮き足立った雰囲気になじめず、
なーんにもない、どどーんと開けた海が見てみたくなったのです。
朝イチの電車にのって、南を目指すこと24時間。
朝の五時ごろ目をさますと、すでに列車は終点についていました。
駅に降り立つと、
駅名ボードには見たこともない村の名前が。
隣でおりようとしているおばあさんに
「カニャクマリ?」と言いながら地図を見せると、
首をふって、少し上の小さな町を指差しました。
今はここにいる、という意味です。
なんと、私が乗ったのは、カニャクマリより少し手前の、
見知らぬ村ゆきの列車だったのでした。
ガイドブックに、名前はおろか場所さえも乗っていないその村から、
私は唐突にカニャクマリを探すたびに出ることになりました。
村人のほとんどは英語がしゃべれなかったものの、
どうやら駅前からカニャクマリ行きの
バスが出ているらしいことがわかりました。
六時頃に出た始発のバスはすいていました。
30分ほどしばらく走ると、
隣町まで買い物にいくらしいおばさんや、
学校へ行く途中の小学生たちが次々と乗り込んできました。
寝ぼけまなこで、全くの心の準備もないまま、
名もない村のローカルバスに乗るのは、
本当に不思議な気分でした。
言葉がほとんど通じないので、
このバスがカニャクマリにたどり着けるのか、
自信がありませんでした。
でも、むしろたどりつけなくてもいい。
このままガイドブックに書いていないところにいきたい。
という思いが、バスのゆれといっしょに、
ゆらゆら揺れていました。
寝ぼけているせいで、
まわりの景色がフィルターをかけたように白みがかって
夢の世界みたいでした。
小学生の女の子のおさげが、
一本の無駄もなくもきれいに結われていて、
髪の毛の表面がつるつると光っていました。
赤いカバンと、白と黒のギンガムチェックのシャツが
朝の光を浴びて、ぴかぴかに輝いて見えました。
バスのドアが開くたびに、
朝の新鮮な空気をまとった
ふつうの人びとが入り込んできて、
みんなが幸せそうに見えました。
日常は、こんなにも美しいんだ。
でもこの人たちは、それに気づいていないんだ。
と、透明人間のような気持ちで、ふつうのインドの朝を眺めていました。
小さな家々の町並みを一時間ほど走ると、
徐々に景色が開けてきました。
緑の平野となだらかな山々が
窓の外を通り過ぎていきました。
と、唐突に、緑の山の向こうに、
巨大な茶色い物体が現れました。
30メートルぐらいの大きさの、
巨大な岩。
なんの予兆もなくまさに、こんな唐突さで。
なんでこんなところに岩が?
しかも、こんな大きさで。
どこから運ばれてきたんだろう…
あまりの巨大さと唐突さに驚きながら
周りをみわたすと、
インドの人たちは、何事もなかったかのように前を向いています。
まどの外には、ひとつ、またひとつと、
数十メートル大の巨大な岩が次々と現れては、
流れていきました。
みんなは岩には見向きもしません。
まるで、いつもそこにあるコンビニかなにかみたいに。
こんな異常な風景も、この人たちにとっては日常なんだ。
そう思ったら、
日常というものの不思議さを感じずにはいられませんでした。
それに慣れてしまえる、人間の大胆さも。
私は今でもよく、その岩のことを思い出します。
こういうとき、ぼーっと天井をながめていると、
今の自分の夢と現実との距離や、
自分と世界の距離について自然と考えています。
昔見たきれいな景色がふっと戻って来たりします。
たいていは、大学時代のインドの旅行のときの景色が多いです。
3回目ぐらいのインド旅行。
ゴアの海辺のゲストハウスで目覚めたある朝、
私はふと、カニャクマリという岬に行くことにきめました。
インドの地図のいちばん南の、とがっている、あの点。
北から南に向かうあらゆる列車の終着点です。
「太陽が、東からのぼって西に沈むところが両方見られる」という、
なんともロマンティックな枕詞がついている岬でもありました。
ひとりで一ヶ月ぐらいインドをまわっていたその頃。
旅慣れた気でいた私は、
なんだか旅に対するストイックなモードに突入していました。
ゴアのビーチは世界中から集まったヒッピーがパーティーを行う場所。
なんだかその浮き足立った雰囲気になじめず、
なーんにもない、どどーんと開けた海が見てみたくなったのです。
朝イチの電車にのって、南を目指すこと24時間。
朝の五時ごろ目をさますと、すでに列車は終点についていました。
駅に降り立つと、
駅名ボードには見たこともない村の名前が。
隣でおりようとしているおばあさんに
「カニャクマリ?」と言いながら地図を見せると、
首をふって、少し上の小さな町を指差しました。
今はここにいる、という意味です。
なんと、私が乗ったのは、カニャクマリより少し手前の、
見知らぬ村ゆきの列車だったのでした。
ガイドブックに、名前はおろか場所さえも乗っていないその村から、
私は唐突にカニャクマリを探すたびに出ることになりました。
村人のほとんどは英語がしゃべれなかったものの、
どうやら駅前からカニャクマリ行きの
バスが出ているらしいことがわかりました。
六時頃に出た始発のバスはすいていました。
30分ほどしばらく走ると、
隣町まで買い物にいくらしいおばさんや、
学校へ行く途中の小学生たちが次々と乗り込んできました。
寝ぼけまなこで、全くの心の準備もないまま、
名もない村のローカルバスに乗るのは、
本当に不思議な気分でした。
言葉がほとんど通じないので、
このバスがカニャクマリにたどり着けるのか、
自信がありませんでした。
でも、むしろたどりつけなくてもいい。
このままガイドブックに書いていないところにいきたい。
という思いが、バスのゆれといっしょに、
ゆらゆら揺れていました。
寝ぼけているせいで、
まわりの景色がフィルターをかけたように白みがかって
夢の世界みたいでした。
小学生の女の子のおさげが、
一本の無駄もなくもきれいに結われていて、
髪の毛の表面がつるつると光っていました。
赤いカバンと、白と黒のギンガムチェックのシャツが
朝の光を浴びて、ぴかぴかに輝いて見えました。
バスのドアが開くたびに、
朝の新鮮な空気をまとった
ふつうの人びとが入り込んできて、
みんなが幸せそうに見えました。
日常は、こんなにも美しいんだ。
でもこの人たちは、それに気づいていないんだ。
と、透明人間のような気持ちで、ふつうのインドの朝を眺めていました。
小さな家々の町並みを一時間ほど走ると、
徐々に景色が開けてきました。
緑の平野となだらかな山々が
窓の外を通り過ぎていきました。
と、唐突に、緑の山の向こうに、
巨大な茶色い物体が現れました。
30メートルぐらいの大きさの、
巨大な岩。
なんの予兆もなくまさに、こんな唐突さで。
なんでこんなところに岩が?
しかも、こんな大きさで。
どこから運ばれてきたんだろう…
あまりの巨大さと唐突さに驚きながら
周りをみわたすと、
インドの人たちは、何事もなかったかのように前を向いています。
まどの外には、ひとつ、またひとつと、
数十メートル大の巨大な岩が次々と現れては、
流れていきました。
みんなは岩には見向きもしません。
まるで、いつもそこにあるコンビニかなにかみたいに。
こんな異常な風景も、この人たちにとっては日常なんだ。
そう思ったら、
日常というものの不思議さを感じずにはいられませんでした。
それに慣れてしまえる、人間の大胆さも。
私は今でもよく、その岩のことを思い出します。
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by yukijazzvocal
| 2010-03-06 05:19
| 雑記